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―― Vol.26 諦めない ――
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街で見かける救急車は、サイレンを鳴らしていても交差点では徐行して安全運転です。救急患者を搬送している以上、事故は絶対に起こせません。それが当然だと思っていました。でも、その救急車のエンジンは唸りをあげて弾丸のように突っ走り、カーブではタイヤを鳴らして、ベッドから振り落とされそうになるくらいの猛スピード。いくらなんでも飛ばしすぎでした。失血で薄れていく意識が身の危険を感じて、ハッキリとしてくる程でした。 |
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オフロードでの練習中の事故で担ぎこまれた救急病院で直ぐに処置が始まりました。全身打撲に加えて左骨盤の粉砕骨折と、左肘の開放骨折。左骨盤はお煎餅を割ったように見事にバラバラ。左肘は関節が割れて骨が露出していました。そこからの失血で貧血になっていたようです。裂けた皮膚から露出していた骨は感染症(骨髄炎)の危険性があということで、傷口の念入りな洗浄消毒が長時間続きました。その時の、これで助かったという安堵感は今も忘れられません。後に聞いた診察結果は、全治3ヶ月の重症でした。
3ヶ月位で治るのならよかった思っていました。でも、コントのような包帯グルグル巻き姿だったので、あいつはもう一生バイクには乗れない歩けないという噂もあった、かなり危険な状態だったらしいのです。お医者さんは無理したら一生歩けなくなるとか、看護師さんは毎日何度も左腕の神経が切れていないか確認するやで、治るつもりの自分も不安になりました。それでも自分は3ヵ月後のレースに復帰するつもりだったので、お見舞いに来てくれた友人に懲りもせず、レース参戦の手配を頼んでいました。
何本もの注射と点滴だけで後はベットに寝ているだけの毎日。全身打撲で腫れた体は入院1ヶ月後には回復しました。でもある日、病室のベットに寝ていてふと自分の左腰に手を回して驚きました。あるはずの左腰骨の出っ張りがないのです。慌てて看護師さんに聞いたら、粉砕骨折で変形してしまったそうです。それでも、リハビリを頑張れば歩けるようにはなれるというので、しょうがないと納得しました。
愕然としたのが左腕のギブスを外した時でした。左肘が全く動かなかったのです。嘘だろと思っても事実でした。医者いわく、割れた関節が固まってしまったので、もしかしたら動いても3割くらいという。それはまずい、バイクにもう乗れないということです。そこで病院の消灯時間後に右腕で左腕をつかんで無理やり力づくで関節を動かしました。勿論、お医者さんにも看護師さんにも内緒です。それがあまりにも痛くて涙が自然と出てしまうくらいでしたが、これ以上は悪くならないだろうと思い毎晩続けました。怠け者だけど、バイクにまた乗りたかったので頑張りました。今でも角度が少し変ですが、半年後には不自由ない状態まで回復しました。
リハビリの成果もあって何とか普通に歩けるようになったのは1年後でした。お年寄にも追い越されるくらいの歩く速さでしたが。結局3ヵ月どころか1シーズンを棒にふってしまいましたが、1年後にバイクに乗れた時は自分自身が生き返ったようで嬉しかったです。自分を支えてくれた病院の方々や友人にも感謝しました。
もし、途中で諦めていたらバイクにはもう乗れなかったのかもしれません。じゃあ何で諦めなかったのか・・・自分は必ず治ると信じていたからです。何の根拠がなくても自分の可能性を信じていました。冷静に分析して悲観的な答えしか得られなくても、「拮抗した勝負はあきらめた方が負ける」、諦めたらそこで終りだと思います。
諦めが肝心とも言いますが、どんなに苦しく辛い状況でも諦めないことが大事です。諦めない方法は簡単です。悲観的な答えは自身が一般的な考えで出した結論です。もしくは、人に言われたからかもしれません。でも、人間の可能性は無限です。不可能や奇跡は諦めないから起こります。幸い自分は、あまり一般常識や教養がないので、一般的な答えを出す能力に欠けています。なので根拠がなくても漠然と自分の魂を信じることができました。諦めない方法は自身の魂の声を聞くことです。霊視カウンセリングでは、そのお手伝いをしています。スピリット911、名前の由来は国際的な救急電話番号911番からとっています。
どうにか普通の体に戻った1年後、また練習中に事故を起こしてしまいました。翌日になっても歩けない程左足が痛むので、病院に行きました。絶対に折れていないと信じていたら、レントゲン写真にポッキリ折れた足の骨。友人にギブスで固められた左足を見せて、自分「折れていた・・・」、友人「やっぱり・・・」。諦めの悪い自分に、友人も呆れているようでした。 |
2006/06/13 |
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