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―― Vol.39 三宅島 ――
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昨日、インドネシア国内で旅客機が墜落炎上しましたが、スタッフのえつこと山本は、無事バリ島(ウブド)に到着したようです。ですが、早速トラブル発生の連絡。町の電力が少なく、電話やネットが難しい状況だそうです。これから1ヶ月間の研修中、何事もないといいのですが。そしてもう一つ。大学受験中のよしだの長女。滑り止めの私大は、ことごとく不合格。残るは一番の難関、第一志望の国立大のみ。結果・・・何と、見事合格!これには驚きました。やっぱり底力は、よしだ譲りのようです。ちなみに、合格した国立大はよしだの出身校です。 |
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東京都の石原慎太郎知事が三宅島の復興策として発案した一般道路(公道)でのオートバイレース構想に対し、日本を代表するプロライダーたちが「危険すぎる。絶対に開催すべきではない」と、安全面から「NO」を突きつけていることが明らかになった。
「公道レースは不可能。事故が起きれば死者が出る可能性がある。昨年7月の視察以来、何度も提言してきたが、まったく聞き入れられない。初めから結論ありき、という印象です」。こう話すのは元Hondaワークス所属で、元全日本GP・全米選手権チャンピオンといった経歴を持つ“天才ライダー”の宮城光氏。
三宅島レースは、噴火による全島避難が解除されて1年後の2005年1月末、石原知事が「英国のマン島のようにオートバイレースを誘致すれば若いライダーに人気になる」と発案し、検討され始めた。今年11月の開催予定で、インフラ整備費として4億円も計上されている。モデルとなったマン島TTレースは1907年に始まった世界最古の公道オートバイレース。死者も出る危険なレースとして知られる。
宮城氏は、都とともに大会を主催する日本モーターサイクルスポーツ協会(MFJ)から「どうすれば公道レースができるか?」という依頼を受け、昨年7月から三宅島を4回訪問、予定コースの外周道路(30キロ)などを視察・試走した。その結果、(1)幅員が6−7メートルと狭く道路沿いに家屋や石垣などがある。クラッシュパッド(緩衝材)などで対策しても安全性は不十分(2)都内の総合病院まで最短40分かかり、救急設備も不十分(3)車両の安全地帯がなく、事故の場合は2次災害が懸念される−などと判断。「絶対に公道レースはやってはいけない」と結論づけ、「小さくてもいいからサーキットを作るべきだ」と提案した。
しかし、都が昨年12月26日に発表した「第1回三宅島オートバイレース大会の概要」では、コースは当初予定の外周道路のまま。このため、宮城氏は今月5日、前述の理由などを添えて「公道レースは絶対的に開催すべきではない」という報告書を都やMFJに提出したが反応はないという。世界選手権参加経験のある難波恭司氏も昨年8月に同様のリポートを提出したが、一切無視されたままだ。
「現状では選手に『死ね』というようなもの。レースに危険はつきものだが、選手は安全性が確保されて初めて危険に挑める。命知らずとは違うということを石原知事に理解してもらいたい」これに対し、都は「公道を使い、安全性を確保できるレースを検討中」といい、MFJの神谷忠ロードレース副委員長も「スピードを競うのでなく、安全に配慮したレースにすれば問題ない」と語り、オートバイメーカーに協力を要請したが、反応は厳しい。業界をリードする本田技研工業は「二輪車レースはサーキットがふさわしいと考える。安全の確保が極めて難しい公道レースは賛同しかねる」(広報部)と反対する。
極限の戦いをしてきた元プロやトップメーカーから“殺人レース”とまで言われる三宅島レース。石原知事はどうするのか。 |
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オートバイレースに災害復興を賭ける島民のみなさんは、上記の記事を読んでどう思ったのでしょうか。大変残念な記事であり、寂しい意見だと思います。危険だからこそ、あえて開催すべきだと自分は思います。
選手が死んでもいいからという訳ではありません。選手は覚悟が必要ですが、このレースは災害復興の為のオートバイレースです。三宅島では平成12年の雄山噴火以来、島民は4年半にわたり全島避難を余儀なくされました。火山活動の沈静化に伴い、火山ガスとの共生を前提に、平成17年2月に帰島を果たすことができましたが、島民は噴火前の75%の約2900人に減少し、特に若年層の減少が著しく、島の生活環境は依然として厳しく、基幹産業である観光は、いまだに悲劇的な状態だそうです。
このレースはただ速さを競いあうだけではなく、災害復興とうい深い意味合いと、意義のあるレースです。その為には危険もしかたない・・・とは思いません。開催反対の意見は、裏を返せば島民のみなさんが、今現在も常に危険にさらされているということです。安全を確保できない狭く危険な道路。都内の総合病院までヘリコプターで40分(救急ヘリコプターは常時待機していません)かかり、救急設備も不十分な生活環境。それら全てを改善するには、直ぐには無理かもしれません。ですが、あえてオートバイレース開催を続けて行くことで、必ず改善されていくはずです。基幹産業である観光も、活気が戻ってくるでしょう。
三宅島復興を諦めていないからこそ、帰島した島民のみなさんの勇気。結果を恐れていては、何も始まらないのです。例え思うような結果が伴わなくても、必ず前に進むことが出来ます。少しずつでも前に進むこと。それは魂の成長と同じです。諦めた先に、未来はありません。「殺人レース」は諦めた人達の言葉です。夢と希望を抱いていれば、未来は必ず変えられます。人生も、また同じです。
反対している本田技研工業は、英国連邦マン島TTレースにイギリスHondaワークス所属選手を、今現在も走らせています。海外と国内では、危険の度合いが違うのでしょうか?勿論、同じです。イギリスでは、サーの称号を与えられることもあるほど、選手は尊敬されています。日本では、暴走族と大差ない扱いをされることもあります。お国柄の違いもありますが、企業としての姿勢は矛盾しています。勇気を持って欲しいと思います。これではいつまでたっても、前に進めません。戦後、日本復興を賭けてマン島TTレースに挑戦した本田技研工業創設者、亡き本田宗一郎氏は、天空で悲しんでいます。
昨年のマン島TTレースに参戦していた日本人マン島レーサー、前田淳選手が、視察に来ていた石原慎太郎知事と三宅島村長の目前で、予選走行において、5月29日にクラッシュ・負傷し、6月
5日午後11時16分(日本時間・6月6日午前 7時16分)、搬送先のマンチェスターの病院にて永眠しました。それを知った時に、「三宅島は中止」と思いました。今の日本社会なら当然のことですから。ですので後日、開催すると聞いた時には本当に驚きました。お二人とも、相当の覚悟を持って開催を決めたのだと思います。前田淳選手のサムライスピリットに応えるためにも、自らも応援したいと思っています。
変えなければいけない、変わらなければいけない。東京都三宅島災害復興。その勇気に応える選手が、日本にも必ずいるはずです。 |
2007/03/09 |
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